温泉ヶ岳〜高薙山〜於呂倶羅山縦走 | H17.6.18-19 |
先週、太郎山北面のヤブ漕ぎをしたとき、高薙山へ挑戦してみたいという気持ちが生まれました。 どこからアプローチするかあれこれ考えたのですが、やはり登るからには尾根を歩き通してみたいと思い、温泉ヶ岳から於呂倶羅山へ抜けるルートとしました。 金精峠からの取り付きだと周回ルートにならないので、湯元を基点として、温泉ヶ岳へは南東尾根を登りました。 結果、ヤブの具合は太郎山北面と比べるとやさしいほうでしたが、距離が長いので徐々に効いてくる感じでした。 於呂倶羅山で時間切れとなり、山中泊となりましたが、どうにか天気は持ちこたえてくれたのが救いです。 |
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6/18 (湯元光徳歩道駐車場)5:40---(温泉ヶ岳)9:13/9:30---(2274P)10:43---(2207P)12:02/12:26---(2193P)13:15---(高薙山)14:22/14:40---(2193P)15:36/15:40---(沢筋降下)16:55/17:05---(1971P)17:47/17:52---(金田峠)18:22---(1949P)18:44/18:50---(於呂倶羅山)19:25 【ビバーク】 ▼ 6/19 (於呂倶羅山)6:15---(山王林道出合)7:46---(湯元光徳歩道)8:03---(駐車地)10:25 |
@ | 湯元の北方に湯元光徳歩道の入口があり、駐車もできるようになっている(@)。 ここから金精峠方面へ5分ほど歩き、擁壁の切れ目から取り付く。 取り付き斜面はいきなりチシマザサのヤブでひと苦労する。 尾根上も、背丈近くあるチシマザサの密藪が続いた(A)。 ただ、シャクナゲやコメツガに悩まされるよりは数段マシで、チシマザサも正面から漕いで足元が見えるように掻き分けて進めば、前進はできる。 この尾根、踏跡はまったく無い。 地形図では序盤が急斜面で、後半は傾斜が緩んでくるようになっているが、笹薮はあまり傾斜を感じない。 2061ピークは巻いて過ぎたのだと思うが、見通しは利かないし、途中ではまったく気付かなかった。 標高2100mあたりからコメツガが混ざりだすが、除け切れないほどのものではない。 標高2200m付近には獣道の踏跡が付いており、なるべくその上を歩くようにして笹を避けて歩いた。 温泉ヶ岳の手前ピークは広いので、ピークらしくは感じない。 丘という感じである。 このあたりからは残雪があり、なるべくその上を歩くようにした。 やがて一面残雪となり、笹は雪下に隠れた。 温泉ヶ岳直下の登りに入る頃、雪上に踏跡が認められた。 金精峠ルートの足跡である。テープの類も散見できた(B)。 直下の登りはそう長くはなく、小広い温泉ヶ岳山頂に着いた(C)。 本来は展望は良い山と思えたが、ガスが多くて遠くまでは見渡せなかった。 山頂から東方向に踏跡があるが、すぐに消滅するので、これを辿ってはいけない。 温泉ヶ岳から元来た道を戻り、鞍部まで下って2274ピークへ向かう。 この分岐地点は特に何の表示もなく、雪があると分かりにくい。 急降下を終えた地点で東へ向かう踏跡を探せば必ず見つかるはずなので、慌てないようにしたい。 温泉ヶ岳の東側に回り込むまでは、残雪一杯の踏跡を辿る(D)。 東側に出ると、急斜面をトラバースする笹道となる(E)。 足を滑らせると滑落の危険もあるので、十分注意したい。 北東鞍部は温泉平と呼ばれる。 温泉ヶ岳の山容が一望できる。 温泉平から先は樹林帯となる。 尾根筋をわずかに西側へ逸れながら進んでいくと、念仏平避難小屋の案内標があり(F)、このあたりから方向転換して主稜線と別れ、高薙山方面への尾根筋に向かう。 2274ピークはヤブが煩いので、北側を巻いて進む。 残雪がヤブを隠し、歩き易い。 無雪であっても、巻いたほうが歩きやすいと思う。 ここから先は、相当ひどいヤブかと覚悟していたが、煩いものの歩けないことはなかった。少し安心した。 2207ピークは何も無いピークなのだが、頂上部は東西に広いので、ここから北へ下るにあたり、一体どこから下ればよいやら分からない。 鞍部の先のピークを見通せればよいのだが、樹林が邪魔でそれも叶わず、とにかく適当に下りてみることにした。 下りてみると、北西に向かって登り斜面になっていたので恐らく間違いないだろうと判断。その先の北東に方向転換して延びる尾根はハッキリ分かった。 ただ、2193ピークとの鞍部に下り立つまでは、かなり深いヤブである。 尾根筋から少し外れるとどうにか歩けた。 2193ピークも、頂上部は広い。 頂上南端のヤブを掻き分けると、眼下に刈込湖・三岳・湯湖まで見渡せた(G)。 ここから先もとてつもないヤブかと思っていたが、案外歩ける。 高薙山まで、小ピークを2つ越えるが、どちらも南東斜面を適当に巻いて進んだ。 とにかく、早く高薙山の山頂に立ちたい一心だった。 高薙山の最後の登りにかかると、初めて評判通りのコメツガ・シャクナゲ藪となった。ただ、ここまで来れば恐れることはない。 そして湯元から歩き始めて9時間弱、ようやく高薙山の山頂を踏んだ(H)。 期待はしていなかったのでよいのだが、山頂は狭く、展望はゼロである。 無雪期のこの山を、湯元から尾根通しに歩くことは、私にはまだ時期尚早と思っていたが、先週の太郎山の4時間ブッ通しのヤブ漕ぎが実現を早めてくれた。 山名板は3枚あった。 山頂の南側に、ブルーのヒモが垂れている。これはYoshiさんが辿った西沢金山跡へ至るルートの入口であろうか。 感激に浸るのも束の間、今回の行程で大変なのはこれからである。 すでに14:30になっている。 2193ピークまで戻ってから考えることにした。 2193ピークへ戻ったのは15:30過ぎであった。。 於呂倶羅山をあきらめて刈込湖へ下れば確実に日帰りできる。 金田峠付近から南へエスケープするか、やはり於呂倶羅山へ縦走するか。 縦走するなら途中ビバークは決定的なので、そろそろ水の補給を考えなくてはならない。 迷いはあったが、やはり初志貫徹で縦走することに決めた。 地形図と相談した結果、確実に水補給できるのは1971ピーク北方の沢しかなさそうだった。 2193ピークから於呂倶羅山方面へ下る尾根は、入口が分かり辛い(I)。 幾つかテープが見つかったが、合っているのかどうかも分からない。 とりあえず適当に下っても、誤って南東より南方向へ下りなければ目標とする沢筋に行けるだろうと判断し、頻繁にコンパスを確認しながら下った。 下りがほぼ東方向になり、傾斜が緩むのを待って、さらに枝尾根を北東に下ったが、地形図にある枝尾根をきちんと下っているのかどうかは自信はなかった。 下り立った沢が涸沢だったらどうしよう・・とか、余計なことを考えて不安になったが、辿り着いた沢は、細くとも水量は豊富であった。たっぷりと補給した。 2193ピークと1971ピークとの鞍部は地形的にもハッキリしており、迷う心配はなかった。1971ピークを目掛けてヤブ斜面をよじ登って行った。 18:00前に1971ピークに着き、明るいうちに稜線に復帰できたことは、自分を大いに勇気付けた。 1971ピークからは南西に下るが、その方向にピンクのテープがある。 少し進むともう1ヶ所同じテープがあった。 まだ周囲は十分明るいが、そろそろビバーク場所が気になる。 時々南に刈込湖を見下ろすが、もうエスケープする気はない。 水を無事補給できたことは大きかった。 金田峠へ、背丈ほどある笹尾根を緩やかに歩いていく。 薄いが踏跡は付いているし、ピンクのテープが要所にあって安心できた。 峠の手前に、石祠があった(J)。相当古いもののようで、傾いている。 金田峠を過ぎ、今度は1949ピークへの登りにかかる。 なかなか急である。 登りながらもビバーク場所をどこにしようか考えていたが、笹薮続きでとても落ち着ける場所がない。 1949ピークに着いたのは19時前。 ここは山頂に朽ちた木が1本あるだけで、一面の笹原。まだ明るい。 刈込湖・三岳越しに見る男体山の風景が見事であった(K)。 於呂倶羅山まではもう少しだ。 この先は登りが主体だし、ルーファンに迷う可能性はほとんどないし、日没までに何とか間に合うと思い、先を急いだ。 於呂倶羅山への登りにかかると、シャクナゲが現れ出した。 尾根筋をまともに歩くと、ヤブに捕まってしまう。 わずかに北側を歩いていく。 於呂倶羅山山頂前で、大岩に出合うが、これは北を巻いて過ぎる。 周囲が暗くなってきた頃、於呂倶羅山に到着した。 平らでヤブのない山頂なので、風さえ無ければビバークには適地であった。 幸いにもこの日は無風で、風の心配は無さそうだ。 日没と争うようにツェルトを張る。 コンロで作ったカップラーメンの味が胃に染みた。 しばらくは落ち着けなかったが、さすがに14時間の山行は疲れた。 とても静かな夜だった。 -------------------------------------------------------------- 翌日は5時に目覚めた。8時間も寝てしまった。 改めて目にする於呂倶羅山山頂(L)は、なかなか明るい雰囲気であった。 ここから徐々に東へ下っていくが、尾根は尾根の形を失って広くなっているので、とにかく南側の谷スレスレに歩いていくつもりだったが、意外にもテープが異常なほど多く垂れており、それを丹念に拾っていけば済んだ。 平坦な笹原をしばらく進むと樹林帯の急降下となるが、テープ通りに進めばよい。 踏跡も薄いながらも付いている。 飽きるほどの急降下が続いた後、1789ピークの岩峰が視界に入ったら、そちらへ向かっていくと鞍部に出る。 この地点はそのまま谷筋に向かってもテープがあるので注意したい。 1789ピークはとにかく岩の南側にへばり付くように巻いていく。 山王帽子山方面の山肌に向かって、索道が架けられているのが見える(M)。 その索道方面に向かって笹の斜面を下りていくと、索道の管理小屋らしき建物に出る。そこからは明瞭な踏跡があり、ひと息で山王林道に下り立った。 ここから、もうひと辛抱である。 山王峠方面へ林道を進み、ガードレールを跨いで湯元光徳歩道に入り、涸沼方面へ進む。 涸沼の説明板には、面白いことが書いてあった。 冷気が低いほうへ溜まるため、周辺の山は低いほうから紅葉するのだそうだ。 涸沼の南を縁取るように進み、平坦な道が刈込湖まで続く。 刈込湖は人気があるようで、多くの行楽客とすれ違う。 そばで見ると、切込湖(N)・刈込湖はなかなか大きな湖であり、火山活動の名残とはいえこんな山中に突如として現れる湖は、なかなか神秘的だ。 この2つの湖は、勝道上人が大蛇を切り殺して沈めたという伝説を持つ。 ここから水の流れ出る沢は無いという、不思議な湖だ。 刈込湖を過ぎると、小峠へ向かって登っていく。 幾つもの木製階段があり、これが足にこたえる。 階段が連続していると、一気に登りにかかることができない。 ふうふうと息をつきながら歩を進める。 小峠から先は、緩やかな下りとなる。 ようやく終わりを実感した。 車に帰着したときは、もう1歩も歩けないほど疲れていたが、気持ちは体に反してまだ歩きたいと思っていた。 どうやら、このあたりが山における自分の限界体力だろうとハッキリ悟った。 今回の山行は、ヤブ漕ぎがメインでかなり疲労する上に、沢へ下りたりビバークを伴ったりで、かなりのサバイバルであった。 もう当分いいや、と思った。 ヤブ漕ぎは、軽い荷物で日帰りがやはり基本だと思う。 |
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